ロッキー青木さん
2005年 08月 24日
先日、紅花レストランの創立者であり、気球で太平洋横断、世界記録を樹立した冒険家でもあるロッキー青木氏にお会いする機会があった。
彼は40年前ニューヨークに紅花1号店をオープンさせたった一代で、世界100ヵ所に店舗拡大。その1号店も、寿命が2年といわれる競争の激しいニューヨークで、実に40年以上も経営されているまぎれもなく“サクセス”を絵に描いたようなお方。
そんな氏は、物腰柔らかくオリンピックの元レスリング選手にしては小柄だったのが印象的。彼の半世紀にわたるドラマのような人生を、ひとつひとつ言葉を選ぶように語ってくださった。
さて、そんな彼の話をお聞きしながら感じたことがある。
何かに挑戦するとき、自分が納得できる結果がでるか否かの分かれ道。それは“命がけでやったか、やらなかったか”といった、実はとてもシンプルなことではなかろうか、ともちろん“命をかける”って、言うほど容易くないけれど。
タイミングとか才能とか、生まれ持った運とかも関係あるとは思うから全員が成功するかどうかなんてわからない。でも、やったけどダメだった…というような結果でもそれはゼロではないし、そこから開ける道もあるかもしれない。
彼の逸話で、こんなものがある。紅花をオープンする前に、ハーレムで移動式のアイスクリーム屋をはじめたロッキー氏。当時のハーレムといえば、危険極まりないエリア。彼なりの工夫は、アイスに刺した小さい番傘だった。予想通り子供たちの人気をさらったが、それを妬まれ何度も刃物で刺されたそうだ。
普通であれば、怖じ気づいて諦めるだろう(私だったらそうする)でも彼はそんな逆境に負けず、毎日店を出し続けた。3ヵ月でなんと1万ドルを稼ぎ、紅花の資金にしたんだとか!!そんな話からしても本当に“命がけ”だったことがわかる。
彼の話を聞きながら、私はまだまだ甘いなぁと、こんなんじゃダメだなぁと感じた。“命がけ”で挑戦したい何かを、私も早く見つけたい。
※写真は、氏が表紙を飾った「News Week」紙。「日本食とは何ぞや?」と言われた時代に、ステーキにパフォーマンスを合体させ、メディアがこぞって紅花を紹介。一躍、人気レストランとなった。